ギリシャの猫☆The Greek Cats☆Οι Ελληνόγατες
ギリシャのエーゲ海や遺跡に住む猫たちの猫魔術の時間
皆さま、お久しぶりでございます。やっとこさ、戻ってきました。
なかなか外歩きが出来なくて、歩いているにはいますが、もう大変です。
まぁね、冴えない人生で、しょうがないけど、歩くぞ、という感じかな。
皆さまはいかがお過ごしですか?健康第一。お互い達者で過ごしましょう。
Youtubeもやっております。チャンネルの登録をお願いします。



最近、ヘシオドスの「仕事と日々」という作品を読んでいます。この本はずっと読んでいなかったのですよ。なんでかというとタイトルがね、なんか古代の共産主義みたいな感じがしてね。実際はそうではないと思うのですが、、、なんかタイトルがあまり面白くないなぁと思っていました。読んでは見たんですが、頭に入りませんでした。まぁね、太陽に向かって立ちしょんするな!と言ってました。それは神への冒涜なのだそうです。まぁね、エチケットに関することもチョコッとあって、その本を読むのがなんか面白くなってきました。


なかなか外歩きが出来なくて、歩いているにはいますが、もう大変です。
まぁね、冴えない人生で、しょうがないけど、歩くぞ、という感じかな。
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最近、ヘシオドスの「仕事と日々」という作品を読んでいます。この本はずっと読んでいなかったのですよ。なんでかというとタイトルがね、なんか古代の共産主義みたいな感じがしてね。実際はそうではないと思うのですが、、、なんかタイトルがあまり面白くないなぁと思っていました。読んでは見たんですが、頭に入りませんでした。まぁね、太陽に向かって立ちしょんするな!と言ってました。それは神への冒涜なのだそうです。まぁね、エチケットに関することもチョコッとあって、その本を読むのがなんか面白くなってきました。
プ二クスの丘へ行く方法はたくさんある。本日は擁壁(擁壁)のところから登っていきたい。
擁壁というのは土砂崩れ防止のために建設されたもの。紀元前5世紀?の公共工事を見学した。

まさかそこで猫さんたちに会えるとは思わなかった。猫さんたちはテシオ地区のネオクラシックのオタクの飼猫さんたちだった。飼主が3時までお出かけみたい。帰ってきたらオウチに入るみたい。それまでは自由時間みたい。
遺跡管理人さんの詰め所の周りで遊んでいたキジ猫さん。 ここに来るのが楽しみな猫さん。はやく飼主さんが帰ってくるといいね。

擁壁わきの小径を歩いて、プ二クスの丘に来た。猫はついてこない。
プ二クスの丘からアクロポリスのパルテノン神殿が見える。アクロポリスのパルテノン神殿をはじめとする豪壮華麗な建築物はペリクレスの時代のものである。
プ二クスの丘には紀元前508年にクレイステネスという政治家(貴族で軍人)が民主主語を唱えたところである。市民が集まって集会をし、民主主義政治が行われた。演壇(ヴィマ=βήμα)があって、そこで人々は演説を行った。
紀元前508年から民主主義政治が始まり、その頃の有名な政治家、クレイステネス、ミルティアデス、キモン、ペリクレスがいる。
この演壇上で、演説する人はパルテノン神殿を見ながら演説をした。
アテナイ(アテナは地名で、アテナ女神の名前である。その複数形がアテナイ)。古代アテネは都市国家としてたくさんの市や町を勢力圏に入れて行ったので、地名が複数形だった。今は単数形でアテナである。
ペリクレスはデロス同盟をほぼアテネ同盟のようにしてしまい、各都市国家からの分担金をも利用してアクロポリスを整備してしまいました。なので各地の都市国家のなかには反旗を翻す国もありました。デロス同盟というのはよくよく考えて見れば、古代ギリシャの国連のようなもので、アテネには民主主義とか言って、よその国には重い分担金で、歯向かう地域には戦隊を贈ったりもしました。
ペリクレスは立派な人だったかもしれませんが、私はペリクレスのライバルのキモンをとても気に入っています。彼は、貧困で食べ物がない人々が、キモンの農園に入って、野菜やラクダ物を持って行っても良いことにしていました。そしてアテネの市民がそれぞれ家と農地が持てるように努力しました。ペリクレスは古代アゴラでの商業ビジネスをかっせかさせたんですけどね。
なんというか、ペリクレスはキモンを陶片追放にして、アテネ市民をあおったのではないのかな?と思っています。まぁ、この二人の親の時代も親同士がライバルでした。キモンの父ミルティアデス、ペリクレスの父クサンティポスなのですが、特にクサンティポスがそう思いましたね。ちなみにミルティアディスはペルシア軍をマラトンで破ったときの将軍です。
擁壁というのは土砂崩れ防止のために建設されたもの。紀元前5世紀?の公共工事を見学した。
まさかそこで猫さんたちに会えるとは思わなかった。猫さんたちはテシオ地区のネオクラシックのオタクの飼猫さんたちだった。飼主が3時までお出かけみたい。帰ってきたらオウチに入るみたい。それまでは自由時間みたい。
遺跡管理人さんの詰め所の周りで遊んでいたキジ猫さん。 ここに来るのが楽しみな猫さん。はやく飼主さんが帰ってくるといいね。
擁壁わきの小径を歩いて、プ二クスの丘に来た。猫はついてこない。
プ二クスの丘からアクロポリスのパルテノン神殿が見える。アクロポリスのパルテノン神殿をはじめとする豪壮華麗な建築物はペリクレスの時代のものである。
プ二クスの丘には紀元前508年にクレイステネスという政治家(貴族で軍人)が民主主語を唱えたところである。市民が集まって集会をし、民主主義政治が行われた。演壇(ヴィマ=βήμα)があって、そこで人々は演説を行った。
紀元前508年から民主主義政治が始まり、その頃の有名な政治家、クレイステネス、ミルティアデス、キモン、ペリクレスがいる。
この演壇上で、演説する人はパルテノン神殿を見ながら演説をした。
アテナイ(アテナは地名で、アテナ女神の名前である。その複数形がアテナイ)。古代アテネは都市国家としてたくさんの市や町を勢力圏に入れて行ったので、地名が複数形だった。今は単数形でアテナである。
ペリクレスはデロス同盟をほぼアテネ同盟のようにしてしまい、各都市国家からの分担金をも利用してアクロポリスを整備してしまいました。なので各地の都市国家のなかには反旗を翻す国もありました。デロス同盟というのはよくよく考えて見れば、古代ギリシャの国連のようなもので、アテネには民主主義とか言って、よその国には重い分担金で、歯向かう地域には戦隊を贈ったりもしました。
ペリクレスは立派な人だったかもしれませんが、私はペリクレスのライバルのキモンをとても気に入っています。彼は、貧困で食べ物がない人々が、キモンの農園に入って、野菜やラクダ物を持って行っても良いことにしていました。そしてアテネの市民がそれぞれ家と農地が持てるように努力しました。ペリクレスは古代アゴラでの商業ビジネスをかっせかさせたんですけどね。
なんというか、ペリクレスはキモンを陶片追放にして、アテネ市民をあおったのではないのかな?と思っています。まぁ、この二人の親の時代も親同士がライバルでした。キモンの父ミルティアデス、ペリクレスの父クサンティポスなのですが、特にクサンティポスがそう思いましたね。ちなみにミルティアディスはペルシア軍をマラトンで破ったときの将軍です。
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